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【日本大学野球部の歴史と今】いざ入替戦へ! 名門・日大は最短で1部復帰を果たせるか!?

文=勝田聡

【日本大学野球部の歴史と今】いざ入替戦へ! 名門・日大は最短で1部復帰を果たせるか!?
 東都大学リーグで23度の優勝を飾り、多くのプロ野球選手も輩出している日本大学硬式野球部。今春の1部のリーグ戦では、その名門の名を見ることができなかった。昨秋のリーグ戦で最下位に沈み、入替戦で敗退。今春は2部での戦いを強いられることになっていたからだ。

 ここでは日本大学野球部の歴史と今春の様子を追っていきたい。

日本大学野球部の歴史


 日本大学野球部の歴史は古い。1923年に創部され、1931年には東都大学野球連盟の前身である五大学野球連盟の創設メンバーとして名を連ねた。1933年秋に単独での初優勝を遂げると(1932年は中央大学と同率首位)、今シーズンまでに1部リーグで23度の優勝を飾っている。これはリーグで5番目に多い優勝回数だ。

■東都大学野球連盟優勝回数ベスト5
専修大:32回
駒澤大:27回
亜細亜大:25回
中央大:24回
日本大:23回
(※2018年春季リーグ終了時点)

 また、全国大会においては大学野球選手権で2度、明治神宮大会では1度の優勝を誇っており、全国的に強豪として知られている。ちなみに、1961年の大学野球選手権初優勝は、東都代表としての初優勝でもあった。

レジェンドから現役まで数多くのOBを輩出


 これまでに日本大からプロ入りを果たした選手は数多くいる。近年では、昨シーズンのセ・リーグ新人王の京田陽太(中日)が記憶に新しい。その他には、京田の1学年先輩にあたる山崎晃太焉iヤクルト)、吉田一将(JR東日本→オリックス)、十亀剣(JR東日本→西武)、戸根千明(巨人)らがプロ入りをはたしている。

 松坂世代では館山昌平(ヤクルト)、村田修一(BCリーグ・栃木ゴールデンブレーブス)がおり、和田豊(元阪神)、真中満(元ヤクルト)といった監督経験者もOBに名を連ねている。

 また、投手コーチとして田中将大(現ヤンキース)やダルビッシュ有(現カブス)らを指導した佐藤義則(現楽天投手コーチ)も日大出身者だ。

 やはり、日本一のマンモス大学だけにプロ野球選手の輩出数は多い。そして引退後にコーチや監督としても、成功を収めている人物も数多くいることがわかる。

今春は2部を制覇し入替戦へ


 2016年秋のリーグ戦では京田を擁し優勝を成し遂げた日大だが、冒頭で触れた通り、翌2017年秋のリーグ戦で最下位に沈んでしまう。入替戦では、侍ジャパン女子代表を率いてワールドカップで4度の優勝経験を持つ大倉孝一監督が指揮を執る駒大に連敗。その結果、今春は2部で戦うこととなった。

 最速での復帰を目指す日大は、開幕戦で国士舘大に敗れたものの、その後は順調に白星を積み重ねていく。終わってみれば、勝ち点5(10勝3敗)で2部優勝を決め、入替戦へと駒を進めた。

 その立役者のひとりは長沢吉貴だ。長沢は佐野日大高時代に田嶋大樹(オリックス)と同期で、3年春のセンバツでベスト4に進出している。田嶋が社会人野球のJR東日本へ進む一方、長沢は日大へと進学した。

 日大進学後は1年時からレギュラーを奪い、2年秋にはベストナインを受賞するなど、順調に成長。大学日本代表にも選ばれた逸材だ。今春は打率.357、2本塁打、10打点、9盗塁で最高殊勲選手に選ばれた。俊足巧打の外野手として、今秋のドラフト候補にも名前が挙がっている。

 そしてもうひとりの立役者が1年の峯村貴希だ。木更津総合高時代には甲子園に3度出場し、2度のベスト8に貢献した遊撃手である。打撃センスを買われて入部した日大では早々にレギュラーを確保。その期待に応えた峯村は打率.476と2部リーグ唯一の4割打者として首位打者を獲得し、2部優勝の原動力となった。

 大学選手権後の6月18日(大学選手権が雨天順延の場合、延期の可能性あり)から行われる入替戦では中央大と激突する。日本大は最速での1部復帰となるだろうか。注目の一戦から目がはなせない。

文=勝田聡(かつた・さとし)

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