週刊野球太郎
中学、高校、プロ・・・すべての野球ファンのための情報サイト

第7回 「明治神宮大会で鮮烈な印象を残した選手」名鑑

「野球なんでも名鑑」は、これまで活躍してきた全てのプロ野球選手、アマチュア野球選手たちを、さまざまな切り口のテーマで分類し、テーマごとの名鑑をつくる企画です。
 毎週、各種記録やプレースタイル、記憶に残る活躍や、驚くべく逸話……などなど、さまざまな“くくり”で選手をピックアップしていきます。第7回のテーマは、「明治神宮大会で鮮烈な印象を残した選手」名鑑です。

★   ★   ★

 11月14日に明治神宮野球大会が幕を閉じました。高校の部は仙台育英が、大学の部は桐蔭横浜大がともに初優勝。大学野球では「地域間の戦力均衡化」が、高校野球では翌春のセンバツにおける「神宮大会枠」の設置といった出来事が90年代以降起こっており、関東のアマチュア野球ファンにとって魅力は確実に増しているのではないでしょうか。今回は、この学生たちの秋の覇権争いで輝いた選手たちを紹介します。

2003-5[大学]竹林俊行(東亜大)

 直球は130キロ足らず。打者のタイミングを上手くはずす不思議なピッチングで大会連覇した東亜大の竹林俊行は印象深い。2年生の2003年には東北福祉大、早稲田大、神奈川大との3試合のマウンドを守りきり優勝。3試合で34本のヒットを打たれ自責点は8(防御率2.67)と安定していたとは言いがたい内容ながら、粘り強く投げた。青木宣親(現ブリュワーズ)鳥谷敬(現阪神)らを擁する優勝候補・早稲田大からの勝利は話題を呼び、竹林の名前を知らしめるきっかけとなった。  04年、3年生となった竹林は再び神宮大会に戻ってくる。初戦の朝日大とのゲームでは大差がついたこともありマウンドを譲った。しかし、その後は中央大、日本体育大、慶應義塾大を相手に3試合連続で完投勝利。連覇の原動力になった。内容は前年を大きく上回り、4試合を通じ自責点は1(防御率0.26)。高い安定感を見せつけた。大学ラストイヤーとなった05年も神宮大会までたどり着く。しかし東海大に5失点を喫し、初戦で敗退。“神宮大会男”の連勝は7で止まってしまった。球威を感じさせないボールながら「バットを折り、三振も獲った」という投球技術をプロの舞台で――という声もあったが、ドラフト指名はなく、卒業後は社会人NTT西日本へ。ところがヒジを故障し3年目に外野手に転向。さらに2年現役を続けたが2010年に引退した。

[竹林俊行・チャート解説]

黄金期の早稲田大ほか、神宮大会常連校相手にマウンドに立ち、東亜大学2連覇に貢献。「熱戦度」はもちろん5。大学在籍時に日本代表に選ばれたことはあるが、その後は飛躍できず。「現成熟度」は1。同時期、活躍した選手の中にはプロで活躍している選手は少なくない。だが明確なライバルと呼べる存在はいなかった。「ライバル度」は4。

チャートは、神宮大会において、その選手が出場した試合がどれだけ熱をおび、注目を浴びたか、現在(その後)成長し活躍しているか、対決が話題になるライバルがいたかをそれぞれ「熱戦度」「現成長度」「ライバル度」として、5段階評価しました(以下同)

2004-5[高校]田中将大(駒大苫小牧)

 大学の部で竹林が大活躍していた頃、高校の部にも新しいスターが登場していた。現在の楽天のエース・田中将大だ。1年生だった04年は捕手としての登録だったが、2回戦の羽黒戦では公式戦初マウンドを経験する。だが先発投手として6回を投げ、10安打4失点でチームは敗れた。
 センバツ出場、夏の甲子園連覇など大仕事を終えて神宮に帰ってきた05年、2年生の田中は神宮を舞台にその成長を見せつけた。初戦の清峰戦で2失点完投。次の高岡商戦はビハインドでリリーフ。5回を投げ、勝ち投手になった。早稲田実戦は再び追う展開で登板すると、チームの逆転を呼び、再び勝ち投手に。試合の後半は完投した斎藤佑樹(現日本ハム)とも投げ合い、翌夏の選手権決勝戦での対決の“前哨戦”を演じている。決勝の関西戦は満を持して先発すると散発7安打に抑え完封。駒大苫小牧を神宮大会初優勝に導いた。この大会での47奪三振は大会記録だ。登板9イニング当たりに換算すると14.6という驚くべき数字になる。

[田中将大・チャート解説]

 05年は夏連覇の直後、センバツでの活躍も期待される中の登板。内容的には申し分なかったが期待値も高く、真の実力を見せるのはこれからといった感が強かった。本人もやや余力を残して投げているようにも見えた。「熱戦度」は4。現在は言わずとしれたNPBを代表するエース。「現成熟度」も4。この9カ月後に死闘を演じる斎藤佑樹(現日本ハム)、上田剛史(現ヤクルト)ダース・ローマシュ匡(元日本ハム)などとの対戦があったので「ライバル度」は5とするが、今では田中が飛び抜けてしまった。現在での力の差を見ると3あたりが妥当か。

2002-3[高校]ダルビッシュ有(東北)

 ダルビッシュ有が高校生だった02年から04年は、まだ駒大苫小牧が優勝を果たす前。所属していた東北高校は東北の雄として“優勝旗の白河越え”を期待される存在だった。さらに2つ上に高井雄平(現ヤクルト)ら有望選手がいたこともあり、ダルビッシュへの注目度は入学当初から高かった。
 そんなダルビッシュの全国大会デビューが02年の神宮大会だ。1年生エースとして1回戦の平安戦に先発し7安打完封。しかし次の準決勝で岐阜の中京戦では制球が定まらず4回途中で降板(2失点)。チームも敗れた。ダルビッシュはこれ以降卒業まで、甲子園4度と神宮大会1度と、出られる全国大会にはすべて出場している。03年夏には準優勝、04年春には8強とノーヒットノーランを達成するなどの活躍を見せ、東北とダルビッシュの名は完全に全国区となった。
 だがそんなダルビッシュにとって、03年の神宮大会だけは思い出したくない記憶かもしれない。初戦の済美戦で6回を投げ7失点(自責点5)。まさかの「コールド負け」で敗退という屈辱を味わっている。済美とは翌春のセンバツで再戦しているが、ダルビッシュはコンディションを落とし登板できなかった。リベンジは果たせずに高校を卒業している。

[ダルビッシュ有・チャート解説]

 ダルビッシュが神宮大会で本領を発揮したかといえば、していないというべきだろう。「熱戦度」は3止まり。「現成熟度」は言うまでもなく5。プロに入ってからの快投の連続で印象が薄まってしまっているが、ダルビッシュは高校時代、神宮大会をはじめとした様々な大会で屈辱を味わっている。それをバネにしてきたととらえると、神宮大会は成長の機会だったと位置づけられる。神宮大会で敗れた中京には榊原諒、済美には鵜久森淳志ら後にチームメイトとなる選手がいた。ただ肩を並べるようなライバルにはなっていないので「ライバル度」は2。


その他の「明治神宮大会で鮮烈な印象を残した選手」

1982-83[大学]高野光(東海大)
 エースとして、首都大学リーグ通算23勝1敗、防御率0.92という神がかった成績を残した高野。その勢いで神宮大会も82、83年と連覇した。神宮との縁は深く、4球団での抽選を当てたヤクルト入り。チームが戦力的に厳しい時代にあって、エースとして51勝13セーブを挙げている。熱5/熟3/ラ3

1990[大学]杉浦正則宮本慎也片岡篤史(ともに同志社大)
 古豪・同志社大は70年代に関西六大学野球の強豪として大学選手権や神宮大会でも活躍を見せていた。その後やや低迷したが、1990年にエース・杉浦、野手に片岡、宮本らPL学園勢を擁して復活し、神宮大会出場権をつかむと、快進撃を果たし優勝。杉浦は社会人・日本生命、片岡は日本ハムへ。宮本はプリンスホテルを経てヤクルトへ進んだ。また、杉浦と宮本はともに五輪代表の主将を務めている。熱3/熟4/ラ5

1995-96[大学]川上憲伸(明治大)
 神宮大会最多の優勝回数(5度)を誇る明治大。そのうちの95年、96年の2度の優勝の原動力になったのがエースとして君臨した川上だ。4年間で57試合に登板し28勝15敗、防御率2.14の成績を残した川上は、同期のライバル・慶應義塾大の高橋由伸とともに東京六大学野球を盛り上げた。神宮大会出場を決めた96年の秋のリーグでは10勝(全勝)優勝も成し遂げている。熱4/熟4/ラ5

2007[大学]大場翔太(東洋大)
 大学に入り、学年が上がるごとに順調に成長を見せた大場は、4年となった07年に東都大学野球(1部)で春、秋通算17勝(通算33勝11敗、防御率2.13)の活躍を見せた。神宮大会でも3完投(2完封)。127球、128球、141球と3日連続で120球以上投げ続けて優勝投手になっている。翌年、東洋大は藤岡貴裕(現ロッテ)を中心とした継投策で連覇に成功してもいる。熱4/熟3/ラ2

1997[高校]松坂大輔(横浜)
 松坂は自分の代となる97年から98年にかけて、タイトルを総ナメしたがその第一歩、神宮大会ももちろん獲っている。豊田西、国士舘、沖縄水産との3試合、一度もマウンドを降りずに投げきった。三振を31個獲った一方で四球も13個与えるなど荒削りな部分も見せたが、27回を投げて自責点は2と好投している。決勝の沖縄水産戦では新垣渚(現ソフトバンク)がリリーフで登板。熱3/熟5/ラ3

2008[高校] 今村猛(清峰)秋山拓巳(西条)
 広島でリリーフとして活躍中の今村猛と、阪神で先発の座をうかがう秋山拓巳は08年の神宮大会で対戦している。今村は翌春のセンバツで長崎県勢として初の甲子園制覇。秋山もセンバツ、選手権と2季連続で甲子園出場を果たす原動力になった。だが、両者が投げあった試合では、今村は8回1/3で16安打自責点9。秋山は7回1/3で11安打を許し自責点は1ながら失点は6と互いに炎上。結局12対8で西条が勝ったが、好投手が投げ合いながらも大味になる、高校野球らしい結果になった。熱3/熟3/ラ4

2011[高校] 北條史也(光星学院)
 2012年のドラフト会議で阪神が交渉権を獲得した北條は、11年、2年生の秋の神宮大会で優勝している。初戦の神村学園戦の延長10回、タイブレークからのサヨナラ満塁弾は印象的だった。決勝戦の愛工大名電戦でも決勝の三塁打を放っている。神宮大会で戦うことはなかったが、甲子園の決勝で春、夏と2度対戦した大阪桐蔭の藤浪晋太郎はライバルといえるが、ともに阪神から指名を受け、同じチームでプレーすることになりそうだ。熱4/熟?/ラ5

★   ★   ★

 神宮大会は、11月中旬、短期間に詰め込まれたスケジュールで行われます。1日に高校の部で2試合、大学の部で2試合が基本となっているので、4試合目は日が暮れた後も試合が続き「寒さに打ちふるえながら観る」のが“お約束”という話もよく聞きます。
 高校の部は、全国の代表が集う関東では唯一の機会です。大学の部はドラフトで指名された選手の再確認ができる場でもあります。冒頭でも書きましたが、高校の部は制度的に整備され、大会の格も甲子園に次ぐものとして定着してきました。大学は戦力差が縮まったことで白熱する試合が増えています。高校野球と、大学野球、両方の試合が同じグラウンドで行われるというのも特色で、寒い中でも球場に足を運びたくなる要因の一つでしょう。
 プロはWBCに向けた動きが続きますが、アマチュアはこれで本格的にシーズンオフに入ります。アマチュア野球ファンの皆さんも1年間お疲れさまでした!

記事タグ
この記事が気に入ったら
お願いします
本誌情報
雑誌最新刊 野球太郎No.32 2019ドラフト直前大特集号 好評発売中
おすすめ特集
2019ドラフト指名選手一覧
2019ドラフト特集
野球太郎ストーリーズ
野球の楽しみ方が変わる!雑誌「野球太郎」の情報サイト
週刊野球太郎会員の方はコチラ
ドコモ・ソフトバンク
ご利用の方
KDDI・auスマートパス
ご利用の方