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かつてはオープン戦で引退試合? 江川卓、村山実、杉下茂らのアツいラストピッチを振り返る


 3月18日、マツダスタジアムで行われた広島対日本ハムのオープン戦。くしくも昨季の日本シリーズと同じ顔合わせとなったこの試合に、昨季限りで引退した黒田博樹が姿を見せた。

 この一戦は「黒田博樹特別試合」とされ、試合前に始球式を行った。現役引退発表は昨季の日本シリーズ直前だっただけに、これが事実上の「引退試合」と言えるだろう。

 現在はシーズン最終戦などに引退試合を行うケースがほとんどだが、かつてはシーズン開幕前のオープン戦で行うことが多かった。そんなシーズン前に開催された名選手の引退試合をピックアップし、エピソードを紹介したい。

長嶋茂雄との同期対決で幕を下ろした杉浦忠


 立教大時代は長嶋茂雄(元巨人)、本屋敷錦吾(元阪神)とともに「立教三羽ガラス」と呼ばれ、南海(現ソフトバンク)入団後はエースとして活躍した杉浦忠。

 プロ3年目の1959年には38勝4敗、防御率1.40で最多勝と最優秀防御率を獲得し、シーズンMVPを受賞。巨人との日本シリーズでも「血染めの4連投」で獅子奮迅の活躍を見せ、南海初の日本一をもたらした。

 入団から4年間で116勝と南海のエースとして活躍するも、その後は血行障害に悩まされなかなか勝てなくなってしまう。現役終盤はリリーフとして新境地を開き、1970年のシーズン限りで13年間の現役生活にピリオドを打った。

 翌1971年3月、杉浦は巨人とのオープン戦で引退試合のマウンドに立つ。最後となる長嶋との立教大同期対決が見られた。

 通常、投手の引退試合では花を持たせるため打者があえて三振することが多いが、長嶋は「スギに対してそれは失礼」と全力で勝負に挑み、杉浦の投じたボールをセンター前に弾き返した。長嶋の心意気に、打たれた杉浦は「長嶋らしい」と満足げだった。


後輩が組む騎馬に乗りマウンドに上がった村山実


 「ザトペック投法」で阪神のエースとして活躍した「2代目ミスタータイガース」こと村山実。特に長嶋とのライバル対決には燃えに燃え、節目の通算1500奪三振、2000奪三振はいずれも長嶋から奪っている。

 1970年には33歳の若さで選手兼任監督に就任。この年は防御率0.98という好成績を残した。

 その村山も1972年に現役を引退。1973年3月21日の巨人とのオープン戦が引退試合となった。試合途中、最後のマウンドに上がるためブルペンから出ようとした村山を、江夏豊をはじめとした後輩投手たちが騎馬を組んでマウンドまで運んだ。

 そして最後の投球……。受ける捕手の田淵幸一に「サインはなし。全部フォークや」と指示し、王貞治、末次民夫、高田繁から3者連続三振を奪い、甲子園球場のマウンドに別れを告げた。村山の背番号11は永久欠番となっている。

季節外れの雪が舞う日、東京ドーム最初のマウンドに立った江川卓


 作新学院時代は「怪物」と呼ばれ一世を風靡。法政大時代は東京六大学リーグ史上2位の通算47勝をマーク。巨人入団をめぐる「空白の1日事件」では多くの野球ファンを敵に回したこともあった江川卓。

 巨人入団後はエースとして活躍したが、13勝を挙げた1987年のシーズン終了後に突如現役引退を発表。まだ32歳の若さだっただけにその引退は驚きをもって受けとめられた。

 引退会見で「東京ドームで投げるまで頑張りたかった」と悔しい気持ちを吐露した江川。引退を表明したのは東京ドームが完成する前年だった。

 1988年3月18日、東京ドーム最初のオープン戦となったのは巨人対阪神戦。東京に季節外れの雪が降ったこの日、江川は最後となる巨人のユニフォームに袖を通す。試合前の始球式、江川が東京ドームのマウンドに立つ。打席には宿命のライバル・掛布雅之が左バッターボックスへ。江川は掛布から空振りを奪い、マウンドに別れを告げた。

文=武山智史(たけやま・さとし)

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