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最後のユニフォームで打倒巨人を成就。燃える男・星野仙一の名エピソードを辿る

最後のユニフォームで打倒巨人を成就。燃える男・星野仙一の名エピソードを辿る

 2018年1月4日、星野仙一氏の突然の訃報が流れた。現役時代から「打倒巨人」をむき出しにしたスタイルで中日ファンを沸かせ、監督になっても熱き魂の炎は消えず、「闘将」の異名で球界に多大な影響を与えてきた。

 2017年11月に行われた野球殿堂入りを祝うパーティーでは、病気の影響などおくびにも出していなかったので、訃報にはただただ驚くばかり。しかし、そんな弱い部分を見せないところも「燃える男」らしさだったのだろう。

 今回はそんな燃える男・星野仙一たる逸話を紐解いていきたい。

アメとムチで選手を掌握


 星野氏というと「鉄拳制裁」に代表される血の気の多さが特徴。なかでも中日の監督時代は若さもあってか容赦がなく、投手陣では山本昌が叱られ役になっていた。

 山本昌が「打たれたらとにかく叱られた」というほどで、優しい言葉のフォローは一切なし。ただし、叱るだけでなく、次の試合でもきちんと投げさせていたため、気持ちは切らさずにいられたという。

 野手では捕手の中村武志への厳しい指導が有名だが、それには理由がある。ドラフト1位の中村をわずか2年で自由契約にしようとした球団の方針に納得がいかなかったことから、心を鬼にして徹底的に鍛え上げたのだ。

闘将は話術も巧み


 阪神の監督に就任してからは、徐々に「言葉」にシフトチェンジ。あらためて話術も巧みと知らしめたのが、赤星憲広の操縦法だ。

 2001年、2002年と2年連続で盗塁王を獲得し、ノッていた赤星に対して、2003年のキャンプで星野氏が「赤星は代走要員」と言い放つ。すると赤星は必至に存在をアピールしながらプレー。

 実のところ赤星のレギュラーは決まっていたが、星野氏は「厳しくすることで伸びるタイプ」と性格を見抜き、あえて厳しい言い方をしたのだ。そのかいあって、赤星はこの年に61盗塁で3年連続の盗塁王に輝いただけではなく、プロ入り初の全試合出場と打率3割も達成した。


野球界きっての名優


 星野氏のあふれる熱の矛先は選手だけでなく審判にも向けられた。納得できない判定には、果敢にベンチから飛び出し、中日の監督時代に4回、阪神、楽天時代に各1回と合計6回、退場になっている。

 しかし、抗議の多くはファンを沸かせるためのポーズ。審判に断りを入れていたというからまさに演技派だ。

 ちなみに阪神時代、珍しくニコニコしながらベンチから出てきたものの、審判と話し合ううちにヒートアップして鬼の形相になる、というシーンを見たことがある。それすら芝居だとしたらアカデミー賞ものである。


初のパ・リーグで初の日本一に


 監督として中日時代に2度、阪神時代に1度リーグ優勝している星野氏。しかし日本シリーズでは勝てず、北京五輪でもメダルを獲り逃したことで短期決戦での弱さが指摘されていた。

 しかし2013年、監督として最後に指揮を執った楽天で終生のライバル・巨人を破って、初の日本一を達成。日本シリーズを制した要因を次のように述べた。

「今まではシーズン中に巨人と戦っていたためリーグ優勝で燃え尽きていたが、今回は日本シリーズの相手だったため最高のボルテージで戦えたことが大きかった」

 プロ野球人生を通じて掲げてきた「打倒巨人」。自身初のパ・リーグ球団になる楽天のユニフォームを着るという闘将の英断が、最後の最後に最高の実を結んだ。


古希での大往生


 享年70歳。「人生100年時代」といわれる現代では早すぎる死である。とくに星野氏には、「プロ野球選手OB初のコミッショナー」という大役を願う声もあっただけに、残念でならない。

 しかし、ファンにはもちろん、山本昌や赤星といった星野チルドレンにすら最後まで弱いところまで見せなかったということだから、闘将らしい幕引きだったとも言える。

 最後まで強い男であり続けた星野仙一氏。ご冥福をお祈りします。


文=森田真悟(もりた・しんご)

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