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中村紀洋、松井稼頭央、筒香嘉智、清宮幸太郎…。歴史の目撃者となった元野球少年たち〜甲子園球場編


 センバツ開幕までちょうど1カ月。7年ぶりとなる外野芝の張り替えを行うなど、甲子園球場の受け入れ準備も着々と進んでいる。

 今回はそんな甲子園球場をめぐる、ちょっと不思議な「縁」の話をしてみたい。一流選手たちの「甲子園の舞台に立ちたい」と思わせる動機についてだ。

バックスクリーン3連発を目撃した2人の2000本安打達成者


 甲子園にまつわる伝説、といえば、1985年の「バース・掛布・岡田バックスクリーン3連発」を思い浮かべる人も多いはずだ。

 この試合を球場で目撃し、のちに甲子園に出場。プロ野球でも大成した人物がいた。1人が中村紀洋(元近鉄ほか)。そしてもう1人が松井稼頭央(楽天)。2000本安打を達成した2人のレジェンドだ。

 中村は当時11歳(小学6年生)。左翼席からこのバックスクリーン3連発を目撃した。この試合をきっかけに「ホームラン」に大きな憧れを抱くようになり、大阪府立渋谷高校では、2年生にしてチームの4番打者として活躍。府立校ながらチームを甲子園に導いたことで話題を集めた。

 一方、松井稼頭央は当時9歳(小学4年生)。大阪出身ながら祖父の代から巨人ファンだったという松井家にとっては悔しい3連発だったに違いないが、「高校に入ったら絶対に甲子園に出る」と心に誓い、名門・PL学園へ。2年春のセンバツで「背番号1」をつけ、甲子園出場という目標を果たした。


侍ジャパンの4番候補が目撃した伝説の逆転劇


 今や侍ジャパンでも堂々の4番候補であり、シーズンでは三冠王の期待がかかる筒香嘉智(DeNA)。そんな筒香の運命を変えたのが、小学1年の夏に甲子園球場で見た、ある試合だった。

 その試合とは、1998年、第80回を数えた夏の甲子園・準決勝、横浜対明徳義塾の一戦。この試合、横浜は8回表まで0対6で負けていたにもかかわらず、8、9回の2イニングで大逆転。前日のPL学園戦で延長17回・250球を投げていた松坂大輔(現ソフトバンク)がテーピングを自らはがして最終回のマウンドに登る姿はもはや語り種であり、甲子園の歴史に残る逆転劇、といわれた伝説の試合だ。

 この試合を球場で目撃した筒香少年は、「いつか自分も強い横浜でプレーしたい」と、翌年、小学2年生で野球を始めた。当時はまだ体が小さく、野球も決して上手くはなかったという筒香少年が、まさに野球漬けの日々を過ごすことで憧れの横浜高校に入学。横浜対明徳義塾戦を目撃したちょうど10年後の2008年、2年夏に甲子園大会に初出場。準々決勝では1試合個人最多タイ記録となる8打点を挙げる活躍を見せている。

新「甲子園の怪物」が目撃した伝説の決勝戦


 今年のセンバツの目玉、といえば、なんといっても早稲田実の清宮幸太郎だ。父親は、選手と監督の両方で日本ラグビー界のスーパースターであり、現在もラグビートップリーグ・ヤマハ発動機の指揮を執る清宮克幸監督。当然のように、幸太郎少年もまずはラグビーに興味を抱いた。

 そこから、野球への道に舵をきったキッカケが2006年夏の甲子園、早稲田実と駒大苫小牧による延長引き分け再試合となった伝説の決勝戦だ。当時、小学1年生だった清宮少年は、早稲田実・斎藤佑樹(現日本ハム)と駒大苫小牧・田中将大(現ヤンキース)の投げ合いを球場で生観戦し、野球の素晴らしさに感動。いつか自分も、あの早稲田実のユニフォームを着て甲子園に出たい、と思ったのだ。

 清宮少年が野球を本格的に始めたのが、翌年の小学2年生のとき。小学4年になるとラグビーをやめ、野球一本にしぼってリトルリーグに入団。中学1年でリトルリーグ世界一となり、2015年、憧れの早稲田実業に入学。その年、1年生ながら甲子園で大暴れしたのはご存じのとおりだ。


 今年もセンバツや夏の甲子園で、そしてプロ野球で繰り広げられる試合を見た野球少年たちのなかから、将来のスター選手が現れるかもしれない。野球の未来に希望を抱きたくなるような、ドラマのある試合を期待したい。


文=オグマナオト

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