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菊池雄星(西武)と東浜巨(ソフトバンク)が挑む投手三冠王。かつてはこんな選手が達成していた!

菊池雄星(西武)と東浜巨(ソフトバンク)が挑む投手三冠王。かつてはこんな選手が達成していた!

 最優秀防御率、最多勝利、最高勝率のタイトルに向けて、デッドヒートを繰り広げている東浜巨(ソフトバンク)と菊池雄星(西武)。

 それぞれの勲章を分け合うのか、それともどちらかがすべてをさらっていくのか。パ・リーグの投手主要タイトル争いは、最後の最後まで目が離せない状況となっている。

 そこで今回は、2000年以降のパ・リーグで投手三冠王に輝いた選手を、当時の状況などとともに振り返ってみたい。

「負けないエース」がつかんだ栄光


■斉藤和巳(元ダイエー/ソフトバンク)
2003年:防御率2.83/20勝(3敗)/勝率.870
2006年:防御率1.75/18勝(5敗)/勝率.783

 1995年のドラフト1位で南京都高からダイエーに入団した斉藤和巳。しかし肩に古傷を抱え、入団5年目の2000年に初勝利を含む5勝を挙げるも、投げては休んでを繰り返していた。

 まさにくすぶっていたわけだが、4勝を挙げた2002年にきっかけをつかむ。すると、そのいい流れを2003年に持ち越し、破竹の16連勝を達成。最終的にリーグ最多の20勝を挙げた。

 最優秀防御率こそ松坂大輔(当時西武)と分け合ったが、ダイハード打線と恐れられた強力打線の後押しもあり、負け数はたったの3。8割を超える勝率をマークした。

 その後はタカのエースとして君臨し、2006年に再び主要3タイトルを独占。ここでもライバルは松坂だったが、パ・リーグ唯一の防御率1点台を叩き出し、勝ち星も1つ松坂を上回ったことで、「タイ」がつかない正真正銘の投手三冠王に輝いた。

楽天黎明期のスター果たした大仕事


■岩隈久志(マリナーズ、当時楽天)
2008年:防御率1.87/21勝(4敗)/勝率.840

 近鉄時代に2003年、2004年と連続で15勝を挙げた岩隈。2005年から球界再編によって生まれた新チーム・楽天に移籍。故障などの影響があったとはいえ、1年目から9勝、1勝、5勝となかなか結果を残すことができなかった。

 本人だけでなく楽天ファンなら誰もが「万全だったら……」とやきもきしただろうが、移籍4年目の2008年、ついに全開の岩隈が復活。斉藤和巳のような2ケタの連勝こそなかったが、8連勝を2回達成し21勝を挙げた。

 防御率はダルビッシュ(当時日本ハム)が1.88と肉薄していたが、1厘差で辛くも逃げ切って主要3タイトルを総なめに。ちなみに、この年の岩隈の被本塁打はたったの3本という少なさだった(ダルビッシュは11被本塁打)。

 「一発で簡単に点を与えない。それが最優秀防御率争いの最後のひと踏ん張りにつながった」。岩隈の成績から、そんな言葉が聞こえてきた気がした。


神の子から神へ。もはや生ける伝説


■田中将大(ヤンキース)
2011年:防御率1.27/19勝(5敗)/勝率.792
2013年:防御率1.27/24勝(0敗)/勝率1.000

 駒大苫小牧高時代からスター街道を歩み、楽天入団後も2007年のルーキーイヤーから11勝を挙げるなど、看板に偽りがなかったことを世に知らしめた田中将大。野村克也元監督からも「神の子」と称され、日本のエースになるのも時間の問題と思われた。

 そのときが訪れたのはプロ入り5年目の2011年。1点台の防御率が田中を含めて4人、15勝以上も4人生まれるというハイレベルのタイトル争いが繰り広げられるなか、主要3タイトルのすべてで頂点に立ったのだ。

 最多勝だけはホールトン(当時ソフトバンク)と分け合ったが、ダルビッシュ有、和田毅(ソフトバンク)、杉内俊哉(当時ソフトバンク)ら、並みいる好投手を抑えての快挙。まさに「田中時代」が到来した瞬間だった。

 田中はその2年後、再び投手三冠王を達成する。ただ、一度も負けずにシーズン24連勝(前年のシーズンと同年のポストシーズンを合わせると30連勝)を達成したものだから、その反響が大きすぎて防御率1.27という抜群の記録がやや霞んでしまう結果に。

 投手三冠王の快挙を、さらなる快投で忘却の彼方へ追いやるような投手はそう簡単に現れないだろう。


向けたベクトルの正しさを証明


■大谷翔平(日本ハム)
2015年:防御率2.24、15勝(5敗)、勝率.750

 2013年の日本ハム入団以降、賛否両論あった大谷翔平の二刀流。否定派の声を自ら封じ込めようとするかのように、2015年、大谷は投手三冠を獲得した。

 とはいえ、歴代の投手三冠王に比べたら成績はやや低い。しかも打者としての成績は前年のシーズンよりも軒並み下がっているので、否定派の声を完全にシャッタアウトしたとは言えないかもしれない。

 しかし、2016年に投手として2ケタ勝利(10勝)を挙げ、打者として2ケタ本塁打(22本)を成し遂げたことを考えると、2015年の投手主要3タイトル総取りが、大谷がさらに自信を深めるきっかけなったことは間違いないだろう。

「前代未聞なスタイルに取り組んだことが間違いでなかった」。稀代の天才が結果を出していく様は、自らの存在意義を確かめているようにも映る。


競り合いの末に出る答えとは


 ちなみに2000年以前の投手三冠王となると、1961年の稲尾和久(西鉄)まで遡ることになる。「鉄腕」の二つ名を持つ、まさに昭和を代表する大投手だ。

 パ・リーグは1973年から2001年まで最高勝率を正式なタイトルから外したことも関係しているだろうが、そうでなくとも名前が挙がる歴代の投手を見ても、おいそれと達成できるものでないことは確かだ。

 そんな「超」がつく大投手たちに、東浜と菊池は肩を並べることができるのか。答えが出るまでの約1カ月間、彼らの投球をしっかりと見ておきたい。


文=森田真悟(もりた・しんご)

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