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「ジャパニーズ・ドリーム」を夢見て〜赤道の向こうに、日本でもアメリカでもない、「もう1つの野球」が存在している〜

 オーストラリア野球から抱く私のイメージは、クラシカルなオヴァル(クリケットなどに使用される多目的楕円形競技場)だ。昨年の春、シドニークリケット場で行われたMLB開幕戦を思い浮かべてもらえれば、見当はつくだろう。ABLの場合は、あれよりもっと小規模で、かつ古く、見るからに歴史を感じさせる競技場を使用している球団がいくつかあった。

 ブリスベン・バンディッツもそういうチームの1つ。プレーしている選手はやりにくいらしいが、私からすれば、いかにもクリケットの国で野球を観ているんだ、という気になって、旅情に浸ることができたものだった。

 しかし、それも今は昔。私は、町はずれの電車の駅から歩いている。周囲は閑静な住宅街で、駅から少し歩くと照明塔が見えてくる。ここが昨シーズンからのバンディッツの本拠地ホロウェイ・フィールド。よくもまあ、こんなところでナイターなんぞできるな、と思うが、球場の方が古いので文句も言われないらしい。1964年建造のこの球場は、クィーンズランド州の「野球の聖地」と言っていい。地元の名門クラブ、ウィンザー・ロイヤルズのホームグランドとして、あるいはオランダナショナルチームのキャンプ地として長い歴史をつむいできた。

 収容人数は1500人。2万5000人を収容した街中にあった前の本拠地・ショーグラウンドに比べれば、ずいぶんと小さな施設になった。これでもソールドアウトになることはないところにABLの現実が垣間見ることができる。移転の理由も、「野球専用」にこだわったからではもちろんない。球団に大きなスタジアムを借りる金銭的余裕がないだけの話である。


☆オージーたちの野球と生き方と

 それでも、球場に足を踏み入れると、そういう難しい問題は吹き飛んでしまう。朝からの雨で水たまりのできたフィールドを、アテネ五輪でもオーストラリア代表に名を連ね、銀メダルを獲得したGMのポール・ゴンザレス(元オリックス)がスタッフとともに整備している。彼らの表情は一様に明るい。そう、選手だけでない、このリーグでは球団スタッフも、『野球をメジャースポーツにする』という夢に向かっているのだ。

 この日は、シドニーの球場で笑顔を迎えてくれたブリスベンのディンゴ(デーブ・ニルソン/元中日)の姿はなかった。なんでも自分が主催する少年野球大会があり、そちらに顔を出す必要があるため、昨日からチームの指揮はコーチに任せているらしい。なんともおおらかなことだ。

 姿がないと言えば、日本の独立リーグでプレーしていた投手、スティーブン・チャンバスもこの日はいなかった。日本プロ野球でのプレーを夢見る彼は、2012年シーズンを関西リーグで過ごし、翌年はさらなるステップアップを目指してBCリーグに挑戦するが、ビザがおりず、結局、練習生止まりで終わってしまった。昨年はチェコでプレーしたという。

「でも、今年はビザが出るようだから、日本へ行くよ」

 年末に一緒に食事をした時には、来るシーズンに向けての抱負を語ってくれていたのだが、その意気込みとは裏腹に、家族でバカンスに出かけて、この4連戦は欠場らしい。

 このような話を聞くと、日本人は「野球をバカにしてんのか」と目くじらを立ててしまうが、オージーにとって野球は人生の一部でしかない。そもそも、仕事だって長い人生のパーツなのだ。

 ある豪州の野球関係者はこう嘆く。

「俺はじれったいんだよ。あれだけのポテンシャルがありながら、どうしてもっと追い込まないんだよ。だいたい仕事だってそうなんだ。『お前ら何のために働いてんだ?』って聞くと必ず『ホリデイ!』で答えるし。もっと練習すればって言うと、『I don’t need!』って返ってくるんだもん」

 しかし、それが悪いことなのだろうか。

 ディンゴの現在のライフワークは野球の国際的普及である。彼のABLでの監督としての報酬は1シーズンで100万円ほどだという。すでに一財産を築いている彼にとって、監督業もライフワークの一部でしかない。野球の底辺拡大のため私財を投じて実施する少年野球大会もプロリーグと同じくらい彼にとっては大事なことなのだ。

 チャンバスにしてみても、彼はプロ野球選手以外に実業家という顔ももっている。職業としてはむしろこちらの方が好調のようで、商才にたけた彼にとって、ABLでの報酬など小遣い銭にしかならない。しかし、日本の「野球一筋」の選手がセカンドキャリアに悩む今、彼らのキャリアパスに見習う点も多いのではないか。

▲スティーブン・チャンバス

☆「ジャパニーズ・ドリーム」を夢見て

 チャンバスは、この春からはルートインBCリーグの新潟アルビレックスBCでプレーするという。目標はあくまでNPB。かつての同僚、アレックス・マエストリ(オリックス)だってできたのだから、自分も、という思いは強い。

 彼だけでない、ABLの選手にとって、日本はプレー継続のための有望な場所である。NPBというビッグマネーをつかめる場所があるし、独立リーグでさえも、彼らにとっては、アメリカのマイナーリーグより待遇がいい。実際の給与は大差なくても、シーズン途中でクビになる確率は日本の方がはるかに低い。

 バンディッツの中継ぎ、ジャスティン・エラスムスも、日本でのプレーを嘱望する1人だ。南アフリカ、ヨハネスブルク生まれの彼は、現在は移住先のオーストラリアのパスポートを選択しているというが、野球自体は母国で覚えたという。

 「アフリカ初のプロ野球選手」は、WBCの南アフリカ代表にも選ばれている。昨年はアメリカ独立リーグ・フロンティアリーグでプレーしていたが、日本の独立リーグでプレーしたいという。

「この間、セイブのコーチにお願いしたんだ」

 とは言うが、24歳にしてすっかりゆるんでしまった体を見ると、日本でやっていけるのかな……と心配してしまう。

 日本でのプレーを希望しているのは、彼のようなマイナーリーガーだけではない。高い能力を持ちながら、プレー場所を失い、ABLでチャンスをうかがっているも者もいる。

 ルーク・ヒューズと言っても、日本のファンにはピンとこないかもしれない。かつて彼は、ツインズのプロスペクトとして、あの西岡剛(阪神)と争い、最終的にはセカンドのポジションを奪っている。

 結局のところ、ヒューズもメジャー定着はならなかった。野球選手としてのレベルは近いものがあるはずだが、現在の状況は大きく異なっている。西岡には母国に、億単位を稼ぎながら、プロ野球選手としてもプレーできる場所があるが、オージーのヒューズにはない。ここ2年、彼は契約が取れず、北半球の野球シーズン中は、MLBアカデミーのコーチとして食いつないでいる。彼もまた、「独立リーグでもいいんだ。とにかくプレーしたい」と日本行きを熱望している。

▲日本球界入りを熱望するヒューズ(パース・ヒート)

☆第3の野球としての豪州野球

 こういう彼らの野球への構えが日本人のそれと違ってくるのは、ある意味、当然のことだろう。現在のオーストラリア野球は、アメリカの強い影響を受けながら、アジアとのつながりを模索している。台湾・義大ライノスから派遣されてきた一昨年の最多勝投手に輝いたリン・チェンファは、とにかくストレート狙いのオーストラリア野球の印象を「我々の野球と違うアメリカ流」と評するが、試合中、打者が平気でバッターボックスからはみ出して打ち、強烈なバウンドのゴロに、なぜか地面からゴムの塊が飛び出てくるようなオーストラリア野球に苦笑いするアメリカ人選手を目にしてしまうと、赤道の向こうに、日本でもアメリカでもない、「もう1つの野球」が存在していることを感じずにはいられない。

 翌日、今回の取材最終戦は透き通るような青空の下、緑に囲まれた粗末な球場では、4本のホームランがその青空に吸い込まれていった。試合後、記者席代わりのスタンド上のサロンで、差し出された冷たいビールを喉に流し込みながら、いつかまた、ここに戻ってくることを確信し、私は空港へ向かった。



■ライター・プロフィール
阿佐智(あさ・さとし)/1970年生まれ。世界放浪と野球観戦を生業とするライター。「週刊ベースボール」、「読む野球」、「スポーツナビ」などに寄稿。野球記事以外の仕事も希望しているが、なぜかお声がかからない。一発当てようと、現在出版のあてのない新刊を執筆中。ブログ「阿佐智のアサスポ・ワールドベースボール」(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/gr009041)

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