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打撃の神様から無国籍の白系ロシア人まで。1940年の初代ベストナインにはレジェンドがずらり!

打撃の神様から無国籍の白系ロシア人まで。1940年の初代ベストナインにはレジェンドがずらり!

 今季のプロ野球も大団円を迎え、各種タイトルが発表された。中でも注目が集まったのはベストナイン。今回はセ・リーグでは広島から5人、パ・リーグはソフトバンクから4人が選出された。

 各ポジションで錚々たる面々が名を連ねるが、ベストナインの歴史は古く、第1回の表彰は1940年。第2回は1947年で、以降、毎年実施されている。

 脈々と続く歴史あるタイトルだが、第1回の顔ぶれはどうだったのだろうか? 1940年のベストナインに選ばれた9人を紹介しよう。

(※1940年は104〜105試合制)

投手:須田博(スタルヒン/巨人)


■1940年の成績
55登板:38勝12敗/投球回458.1/245奪三振/防御率0.97

■通算成績
586登板:303勝176敗/投球回4175.1/1960奪三振/防御率2.09

 初代ベストナイン投手に輝いたのは、少年時代にロシアから亡命してきた生い立ちを持つスタルヒン(巨人、当時・東京巨人軍)。1939年にノモンハン事件が起こり、日ソ国境紛争の中、須田博の登録名でプレーしていた。この年のスタルヒンは前年の42勝に続き、38勝を挙げて最優秀選手にも選出。巨人の優勝に貢献した。

捕手:田中義雄(阪神)


■1940年の成績
101試合:打率.293(368打数108安打)/0本塁打/42打点/11盗塁

■通算成績
477試合:打率.247(1619打数400安打)/5本塁打/162打点/45盗塁

 捕手はなかなか渋い選出で田中義雄(阪神、当時・阪神軍)。同じくハワイ出身の日系2世である阪神・若林忠志に誘われ、1937年に来日した。インサイドワークに優れ、強肩で、さらには打撃力もあった。ライバル・沢村栄治(巨人)に滅法強かった。


一塁手:川上哲治(巨人)


■1940年の成績
104試合:打率.311(392打数122安打)/9本塁打/66打点/7盗塁

■通算成績
1979試合:打率.313(7500打数2351安打)/181本塁打/1319打点/220盗塁

 一塁手は後に「打撃の神様」と呼ばれる川上哲治(巨人、当時・東京巨人軍)。当時まだ20歳だったが、前年には首位打者を獲得しており、この年は本塁打王を獲得。球界の金の卵だった。


二塁手:苅田久徳(翼軍)


■1940年の成績
103試合:打率.220(373打数82安打)/5本塁打/23打点/18盗塁

■通算成績
804試合:打率.219(2832打数619安打)/37本塁打/202打点/148盗塁

 「苅田の前に苅田なく、苅田の後に苅田なし」といわれた二塁守備の名手・苅田久徳(翼軍)が初代ベストナイン。同時期には千葉茂(巨人)など打てる二塁手もいたが、苅田の二塁守備は「日本野球界を変えた」といわれるほどのフィールディング。翼軍のプレーイングマネージャーでもあり、人気も高かった。


三塁手:水原茂(巨人)


■1940年の成績
86試合:打率.238(332打数79安打)/1本塁打/22打点/9盗塁

■通算成績
523試合:打率.243(1960打数476安打)/12本塁打/184打点/69盗塁

 三塁手はのちに巨人監督として一時代を築いた水原茂(巨人、当時・東京巨人軍)が選ばれた。この年は粗悪球だったことを加味しても打撃好調とはいえなかったが、他球団の三塁手も貧打揃い。阪急(当時・阪急軍)の黒田健吾も「蟻地獄」と呼ばれた守備で候補だったが、東京六大学時代からの水原人気には敵わなかった。


遊撃手:上田藤夫(阪急)


■1940年の成績
95試合:打率.246(349打数86安打)/1本塁打/23打点/20盗塁

■通算成績
913試合:打率.237(3192打数755安打)/8本塁打/291打点/136盗塁

 ハワイ出身で1937年に来日した上田藤夫(阪急、当時・阪急軍)が初代ベストナイン遊撃手。併殺時の動きなど、群を抜いた守備力で1940年は1試合6併殺を完成させた。この年は巨人・白石敏男(勝巳)が4割に迫る出塁率を記録したが、上田の守備力が評価された結果の受賞だった。


左翼手:鬼頭数雄(ライオン軍)


■1940年の成績
102試合:打率.321(386打数124安打)/1本塁打/46打点/13盗塁

■通算成績
454試合:打率.277(1759打数487安打)/9本塁打/190打点/80盗塁

 鬼頭数雄(ライオン軍)は俊足巧打で鳴らした戦前・戦中の名外野手。この年は首位打者を獲得し、ライオン軍の不動の4番打者だった。しかし、太平洋戦争で応召され、1944年にマリアナ諸島沖で戦死した。


中堅手:山田伝(阪急)


■1940年の成績
99試合:打率.272(379打数103安打)/1本塁打/34打点/13盗塁

■通算成績
875試合:打率.251(3060打数767安打)/10本塁打/188打点/231盗塁

 山田伝(阪急、当時・阪急軍)はアメリカ出身の日系2世。俊足を生かした広大な守備範囲を誇り、常にヘソの前で捕球することから「ヘソ伝」の愛称で親しまれた。


右翼手:中島治康(巨人)


■1940年の成績
103試合:打率.264(402打数106安打)/4本塁打/67打点/9盗塁

■通算成績
871試合:打率.270(3296打数889安打)/57本塁打/493打点/103盗塁

 1938年秋(※)にプロ野球界初の三冠王に輝いた中島治康(巨人、当時・東京巨人軍)も初代ベストナインに選出された。この年も自慢のパワーを武器に打点王を獲得。当時のプロ野球界きってのバットマンだった。
(※1938年は春・秋の2シーズン制)


文=落合初春(おちあい・もとはる)

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