京セラドームの2階はグッズショップやレストランが並ぶスタジアムモールとなっている。また、東口から入り、左側に進んでいくと、「Bs SQUARE」が。ここには撮影スポットや、オリックスの歴史を知らせる展示物などがあり、野球初心者でも楽しめるスペースとなっている。しかし、今回紹介したいのはここではない。
2階の北口から入って右側に進むと、右側面には主力選手の大きなパネルが展示してあるが、そちらとは逆の左側の壁に注目してほしい。そこには、阪急、オリックス、近鉄に関わる人々の言葉が並んでいる。そのなかから一部を紹介したい。
プロ野球ファンの中で語り継がれる1988年10月19日のロッテ対近鉄のダブルヘッダー。近鉄は2連勝ならば優勝という大一番の1試合目はものにするも、2試合目は無情の時間切れ引き分けに終わった。その10回の表、近鉄の最後のバッターとなったのが羽田耕一だ。
セカンドゴロダブルプレーとなり、近鉄の優勝がなくなった瞬間の心境を羽田は、「乗り物でもあったら、そのままベンチ帰らんと、どっか行きたかった」と述べている。
翌1999年、近鉄、オリックス、西武が1ゲーム差以内にひしめくなか、近鉄は129試合目で優勝を決め、前年のリベンジを果たした。仰木彬監督は「私の手で選手一人ひとりを胴上げしてやりたい」という言葉を残した。なお、羽田は優勝を花道に、この年のオフに現役を引退している。
1991年は、オリックス・ブレーブスからオリックス・ブルーウェーブにチーム名が変わり、本拠地も西宮スタジアムからグリーンスタジアム神戸へ移った。上田利治監督に代わって土井正三監督が就任した年だ。
この年、オリックスは開幕からつまずき5連敗。その後もなかなか勝てず、4月を4勝13敗と大きく負け越してしまう。
苦境のなかで迎えた5月3日の本拠地・神戸での日本ハム戦。9回裏に藤井康雄がサヨナラホームランを放った。ヒーローインタビューで藤井が涙ながらに発した言葉が「オリックスはこんなに弱いチームではありません」だった。
それまでのオリックスは、ほとんどのシーズンでAクラス入りの成績を収めていた。とろこが、この年は最下位に低迷。これは、本来のオリックスの姿ではないという悔しさから出た言葉だ。
今回紹介した言葉意外にも、西本幸雄(元阪急、近鉄監督)、足立光宏(元阪急)、今井雄太郎(元阪急・オリックスほか)、福本豊(元阪急)、鈴木啓示(元近鉄)、梨田昌孝(元近鉄ほか、現楽天監督)、佐藤和弘(元オリックス)らの言葉が並んでいる。
そこには文字が書かれているだけだが、その言葉に込められた思いを感じることができる。京セラドームに立ち寄った際は、この場所で歴史を感じてみてはいかがだろうか。
文=矢上豊(やがみ・ゆたか) 関西在住の山本昌世代。初めてのプロ野球観戦は、今はなき大阪球場での南海対阪急戦と、生粋の関西パ・リーグ党。以来、阪急、オリックス一筋の熱狂的ファン。プロ野球のみならず、関西の大学、社会人などのアマチュア野球も年間を通じて観戦中。