2013年5月5日、プロ野球に新たな歴史が刻まれた。長嶋茂雄と松井秀喜、師弟2人による「国民栄誉賞」のW受賞だ。そこで、1992年の松井秀喜ドラフト指名以降、2人が歩んできた道程をいま一度振り返ってみたい。
2人の「師弟関係」ぶりを表すエピソードとして外せないのが、「松井秀喜・一千日構想」だ。長嶋自身が「3年で4番に育て上げる『一千日構想』を立て、基本から嫌というほど鍛え上げた」と語ったその特訓は、ある時は長嶋邸ガレージで。遠征時であればホテルの長嶋部屋で。そして試合前後の東京ドームなど、長嶋監督から呼ばれればどんなに疲れていても課せられる厳しいものだった。
果たしてその特訓の成果か、「一千日構想」通りとなる3年後の1996年に初めて「開幕4番」を務めた松井。特に、3年連続で全試合4番を務めた2000年〜2002年の活躍は目覚ましく、2000年には巨人を6年ぶりの日本一に導くこととなる。この年、シーズンMVPと日本シリーズMVPをW受賞したのだが、歴代の巨人軍4番打者で、2つのMVPを同年で受賞したことがあるのは長嶋と松井の二人だけ。まさに、チームを日本一に導く「球界の4番」がここに誕生したのだ。
こうして「球界の4番」となった松井は2002年オフにFA宣言し、大リーグに挑戦する。だが、ヤンキースを選んだ背景には、長嶋茂雄のある一言も影響していたという。巨人に入団した時から「( )のような選手を目指せ」と長嶋に言われ、知らずとニューヨーク・ヤンキースに憧れを抱くことになったからだ。
Q.ここで問題。( )内には、ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番にもなっているある選手の名前が入る。その選手とは誰?
1.ベーブ・ルース
2.ルー・ゲーリッグ
3.ジョー・ディマジオ
4.ミッキー・マントル