言わずと知れたスーパースター。1992年にオリックス・ブルーウェーブに入団。1994年より登録名を鈴木一朗からイチローに替え、全試合出場するようになる。その年にシーズン最多安打日本記録となる210安打を放ち、一気にスター選手となった。
翌1995年は49盗塁で盗塁王。のみならず、首位打者、打点王、最多安打、最高出塁率のタイトルを獲得。ブルーウェーブ初のリーグ優勝に貢献した。さらにシーズンMVP、ベストナイン、ゴールデン・グラブ賞、正力賞も獲得している。打点王と盗塁王のタイトルを同時に獲ったのは、NPB初の偉業だ。
松永浩美は1978年にドラフト外で阪急に入団。俊足を生かすために、スイッチヒッターに転向。1981年から1軍の試合に出場し、1985年に38盗塁で盗塁王に輝いた。2度のサイクル安打、1試合左右打席での本塁打6回などを記録し、史上最高のスイッチヒッターと恐れられた。
言わずと知れた、阪急ブレーブスのレジェンド・福本豊。1970年から1982年まで13年連続で盗塁王を獲得。通算1065盗塁、シーズン106盗塁はNPB記録だ。
盗塁の成功の秘訣「3S(スタート、スピード、スライディング)」のなかで、福本はスタートを重要視している。ベンチから投手の投球フォームをじっくりと観察。また8ミリカメラで投手を撮影。牽制のクセを研究し、盗塁のスタートのタイミングを計った。
福本は「スタートはとにかく思い切っていくことである」と述べている。盗塁に失敗しても、次に出塁したときも思いきりよくスタートを切る。実際、福本は1試合3盗塁刺を経験しており、通算299盗塁刺はNPB最多である。それほどスタートを恐れない選手だった。
1953年に来日し「黒いハヤブサ」と呼ばれたラリー・レインズ。来日初年度に61盗塁で盗塁王を獲得。翌年は首位打者に輝いた。また、1958年から3年連続で盗塁王に輝いたのが、チコことロベルト・バルボンだ。NPBで外国人選手が盗塁王を獲得したのは、阪急ブレーブスのレインズとバルボンの2人のみである。
今季のオリックスのチーム盗塁数は104個だった。その約半数を糸井が走ったことになる。
糸井がオリックスを去ることになり、オリックスの攻撃はどう変化するのか? 盗塁数が激減するのか、それとも盗塁を稼ぐ新たな選手が出てくるのか。ぜひとも、盗塁王争いをする選手が再び現れることを期待したい。
文=矢上豊(やがみ・ゆたか)
関西在住の山本昌世代。初めてのプロ野球観戦は、今はなき大阪球場での南海対阪急戦と、生粋の関西パ・リーグ党。以来、阪急、オリックス一筋の熱狂的ファン。プロ野球のみならず、関西の大学、社会人などのアマチュア野球も年間を通じて観戦中。