■佐藤義則(1976年/阪急1位)
オリックスが誇る「佐藤姓」の選手の筆頭といえば、“ヨシボール”を武器に活躍した佐藤義則。
日本大からドラフト1位で入団すると、即戦力として活躍し1年目で新人王を獲得。その後は低迷期もあったが、1985年に21勝で最多勝に輝くなどエースとしてチームを支えた。
佐藤義則のキャリアのなかで、特筆すべきは1995年に40歳でノーヒットノーランを達成したことだろう。2006年に山本昌(元中日、当時41歳)によって更新されたが、40歳での達成はNPB最年長記録かつ、NPB史上初の快挙だった。
また引退後は、ダルビッシュ有(レンジャーズ)や田中将大(ヤンキース)などを育てるなど、名コーチとして腕をふるっている。
■パンチ佐藤(本名:佐藤和弘、1989年/オリックス1位)
最近の若い方にとっては、板東英二(元中日)や定岡正二(元巨人)らと同様、「本当にプロ野球選手だったの?」というタレント扱いになっているパンチ佐藤。
あらためて現役時代を振り返ってみると、「空前の大豊作」と呼ばれた1989年のドラフトで、野茂英雄(元近鉄ほか)、佐々木主浩(元大洋ほか)、潮崎哲也(元西武)らに混じって、オリックスの1位指名を勝ち取った有望選手だった。
しかし調子の波が激しく、守備でも送球難があったことで、トレードマークのパンチパーマにちなんだ登録名「パンチ佐藤」に改名しても大成には至らず、5年目のオフに無念の戦力外通告を言い渡される。
ただ、パンチ佐藤のタレント性を見抜いていた仰木彬監督は芸能界入りを助言。すると軽妙な語り口がウケて、スポーツバラエティー番組にひっぱりダコになるなど大成功。濃いキャラクターを生かして記憶に残った選手だった。
■佐藤達也(2011年/オリックス3位)
パンチ佐藤が話題を呼んだドラフトから12年後、新たな佐藤姓の有望株がオリックスに入団。社会人野球のHondaで活躍し、3位指名を受けた佐藤達也だ。
2012年のルーキーイヤーの後半から頭角を現わすと、2年目に40ホールド、3年目に42ホールドを挙げて中継ぎエースとして君臨。その活躍と比例するようにチームも順位を上げ、3年目の2014年は首位のソフトバンクにゲーム差なしの2位に肉薄するまでになった。
しかし2015年は、抑えに回るなど起用法が変わったことに戸惑ったのか、前年以上の成績を残すことができず(13セーブ13ホールド)、チームもBクラスに転落。2016年も12セーブと低調な1年を過ごした。
今年で31歳になるが、オリックスの「佐藤姓」を継ぐ者として、佐藤義則の如く復活してほしい。
ここまで3人の「佐藤姓」の選手を紹介したが、ファームにはオコエ世代の甲子園準優勝右腕・佐藤世那(2015年/6位)が控えているので、オリックスの佐藤の系譜はまだまだつながっていく。
ちなみに、オリックスは2番目に多い名字といわれている「鈴木姓」ではイチロー(マーリンズ)を輩出している。今のところイチローに続く生え抜きの「鈴木姓」の選手は鈴木優だけだが、「佐藤姓」と並んでこのポピュラーな名字の選手だけに、鈴木優も「絶対大物になる!」と予言しておこう。
文=森田真悟(もりた・しんご)